
このコラムでは、事業承継税制の潜在活用層のうち75%が申請に至っていない理由の構造と、その先送りが選択肢をどのように狭めるかを整理します。
相談内容
製造業(従業員18名)を経営する62歳の代表者です。息子(35歳)が入社して4年になります。事業承継税制は以前から耳にしており、税理士からも「検討してみては」と言われたことがあります。ただ、息子がまだ経営を任せられる状態ではなく、自分もまだ現役で動けています。今すぐ動くメリットが実感できず、もう少し後でよいかと思っています。「後で検討すればよい」という考えに、何か問題がありますか。
当事務所からの回答
「後で検討すればよい」という判断には、二つの構造的な問題があります。まず、この制度の手続きは2段階に分かれています。
- 第1段階:特例承継計画の提出(都道府県への確認申請) 期限:2027年9月30日
- 第2段階:株式の移転実行(贈与または相続) 期限:2027年12月31日
「息子がまだ育っていない」「自分はまだ現役」という状況は、第2段階(株式の移転)を急ぐ理由にはなりません。しかし、第1段階(計画の提出)を遅らせる理由にもなりません。計画の提出と株式の移転は別の手続きであり、計画を提出した後も移転のタイミングは自分で決められます。
加えて、株価が上がるほど移転時の税負担が増えるという構造があります。業績が好調な今のうちに計画提出の準備を始めることは、税負担の観点からも合理的です。
したがって、まず現状(自社株価・計画提出までの所要期間)の確認から始めることを勧めます。
解説
潜在活用層の75%が動いていない
事業承継税制(特例措置)を活用できる潜在層は、2024年時点で年間約11,700社と推計されます。一方、実際の特例承継計画の申請件数は年間約3,000件にとどまっており、潜在層の約75%が申請していない計算です。
出典:中小企業庁(2025年12月)「親族内承継に関する検討会 中間とりまとめ」(2025年12月)
申請しない理由の内訳
| 理由 | 回答割合 |
|---|---|
| 後継者の人材育成が終わっていない | 32.9% |
| 現代表者が現役で働けるため | 22.5% |
| 適用期限までに承継を完了できない | 23.9% |
| 提出期限までに計画を提出できない | 20.3% |
出典:東京商工会議所「事業承継に関する実態アンケート報告書」(東京23区内事業者対象、2023年7月〜8月実施)
これらの理由は一見もっともらしく見えます。しかし、それぞれに構造的な誤解が含まれています。
手続きは2段階に分かれている
この制度の手続きは「計画の提出」と「株式の移転」の2段階です。混同しやすいため、先に整理します。
| 手続き | 期限 | 内容 |
|---|---|---|
| ①特例承継計画の提出 | 2027年9月30日 | 都道府県への確認申請。移転を約束するものではない |
| ②株式の移転実行 | 2027年12月31日 | 贈与(生前・時期を選べる)または相続(死亡時・時期は選べない)。①が前提条件 |
①を提出した後も、②のタイミングは自分で決めることができます。「計画を出したらすぐに株式を渡さなければならない」という誤解が、動き出しを遅らせる一因になっています。
育成中でも計画提出はできる
特例承継計画は、後継者の育成が完了していなくても提出できます。計画には「承継予定時期」を記載しますが、その時期はあくまで予定であり、育成の進捗に合わせて変更申請も可能です。
「育成が終わってから①を提出する」という順序は制度の仕組みと逆です。①と育成は並行して進めるものです。
現役のうちが税負担上有利
特例措置では、猶予税額の計算基準となる株価は贈与時点で固定されます。贈与後に業績が伸びて株価が上昇しても、その上昇分は猶予税額に影響しません。
今、株価が低い時点で贈与しておけば、低い水準で猶予税額が固定されます。今後の業績向上を見込んでいる経営者ほど、早期に贈与に踏み切ることがメリットになります。
一方、相続の場合は死亡時点の株価が計算基準になります。業績が上がった後に相続が発生すると、計算基準が高くなります。これが、贈与による計画的な承継の方が相続より承継後の成長指標が高い傾向がある一因と推察されます。
また、経営者が若いほど設備投資実施率・増収割合が高い傾向があります(中小企業実態基本調査、令和6年確報)。計画提出から移転実行まで半年以上の準備期間を確保した企業(贈与の約6割)は、承継直後の売上増加率が高い傾向があります。60代のうちに計画提出の準備を始めることは、税負担面・経営資源の継承面の両方から合理的です。
期限に間に合わないという思い込み
「期限に間に合わない」と判断している場合、その「期限」が①なのか②なのかを確認してください。
現時点(2026年3月)から①の提出期限(2027年9月30日)まで約1年半あります。計画策定・認定経営革新等支援機関との調整・都道府県への提出という手順を踏んでも、対応できるケースは相当数あります。
要注意ポイント:「間に合わない可能性がある」と「間に合わない」は異なります。専門家に確認すれば、①②それぞれの対応可否の概略は30分程度で把握できます。確認前に結論を出すことは避けてください。
先送りで何が変わるか
判断を先送りし続けた場合、以下の4つが同時に変化します。
- 株価の上昇 業績が改善するほど移転時の税負担計算基準が上がる
- 後継者の意欲 他の選択肢(転職・独立)を検討し始める時期と重なりやすい
- 経営者の健康 突発的な入院・疾病があると計画的な設計が困難になる
- 制度期限の接近 ①の期限(2027年9月30日)が近づくほど時間的余裕が消える
廃業予定企業の28.4%が後継者不在による廃業(日本公庫、2023年)、2024年の黒字廃業は全廃業の51.5%(東京商工リサーチ)。先送りの積み重なりが、選べる手段を減らしていく構造があります。
まとめ:本当の理由
「後継者育成が終わっていない」「現役だから」「期限に間に合わない」。これらは表向きの理由です。経営者が動けない本当の理由は、もっと人間的なところにあります。
自社株を子どもに渡したら、邪険にされないか。
まず、計画の提出だけしておく
制度を使うかどうかの最終判断は、株式移転の実行タイミングまで保留で構いません。
ただし、特例承継計画の提出だけは早めに行うことを勧めます。
計画を提出しても株式を移転する義務は生じません。提出しておけば「使える状態」を確保でき、提出していなければ移転のタイミングになっても特例措置は使えません。
また、この制度の提出期限は過去に2度延長されており、令和9年度税制改正でも制度のあり方について検討が継続しています。延長を前提に動くことは勧めませんが、制度という選択肢を手元に残しておくコストはゼロです。
「まだ決めていない」は問題ありません。まず当事務所にご相談ください。自社株価の概算・要件の確認・計画提出までのスケジュールは、初回相談で概略を把握できます。
